去る9月25日に、弊社の創業者であり、私の祖父でもあります森下安次が逝去いたしました。
享年93歳の大往生でした。
あまり個人的なことは書かないようにしているこの欄ですが、弊社の創始者について少しだけ書かせていただきます。
元々森下家の祖先は、和歌山県にある「背の山」という場所で庄屋をしておりました。
※余談ですがこの「背の山」は、「妹山(いもやま)」と紀ノ川を挟んで対しており、「妹山背山(いもやませやま)」として万葉集では富士山に次いで詠われている山、という由緒ある土地なのだそうです。
そんな風光明媚な、歴史の深い土地で生まれ育った祖父は、庄屋の出身にも関わらず、畑を耕すことよりも商売が大好きな人でした。
田舎にいながら、これからは洋服の時代だと感じるや、実家を離れて、当時活気で溢れていた町に出て洋服店をOPEN。
持ち前の勢いで、次々と学校からの指定契約も取り付け、商売はすこぶる順調だったそうです。
しかし飽きっぽいのも祖父の性格。
家族に洋服店を任せ、次にハンガー製造販売(東洋ハンガー株式会社)を興します。
(これが現在の富士の祖となったので、富士ではここを創業の元年としております)
木製のハンガーを作りながら、また飽きてきたのでしょう。
次に「家具の時代」を感じた祖父はハンガー製造の機械を活かし、昭和40年に家具の製造販売会社として「株式会社富士」を興します。
祖父の時代感に間違いはありませんでした。
元々一般の家庭はちゃぶ台以外の家具なんてほとんど持っていないわけですから、乾いた土地が水を吸い込むごとく、飛ぶように売れたわけです。
2代目である私の父にバトンを譲った後も、
山を開墾し、川の流れを整備し、滝を作り、広大な土地で「そうめん流し」や宿泊施設を作ったり、
圧巻だったのは80歳を過ぎてから土地を購入したかと思うと、建物を建ててテナントを募集したりと、全く衰えることなく、商売大好きなじいちゃんでした。
そんな祖父ですが、晩年はすっかり丸くなり、いつも家族の心配ばかりしておりました。
脳梗塞で2ヶ月前に倒れた当日も、家族で2泊3日で温泉旅行に行く予定で、タクシーが来るまで大好きな酒を飲んでいたそうです。
だから、祖父は今ごろ温泉でのんびりお湯につかっていることでしょう。
祖父が興し、父が大きくした会社を引き継いだ私の役割は、
これから100年200年と続いていくような会社の礎を築くことだと思っています。
地域や社会から必要とされる会社を、全員の力を合わせて築いていこうと思います。